食べすぎること自体が病気の原因になる
医学は進歩し、医療保険は充実し、栄養事情は申し分なく、世界有数の衛生的な文化生活をしているのに、病気の数は増え続け、日本人の健康はそこなわれている。年間、100万人ものがん患者が新たに生まれ、40万人ががんで死んでいるし、生活習慣病の代表格である糖尿病の患者は890万人いて、予備軍を含めると2210万人ともいわれている。さらに、高血圧や脂質異常症も約4000万人と言われている。ということは中高年の多くは何らかの生活習慣病を持っているという計算になる。決して日本人は健康体ではない。
本来、医学の発達と共に健康長寿が実現されるはずなのだが、長寿国にはなっているが、健康年齢は男女とも平均寿命から約10歳マイナスになっている。つまり寝たきり長寿が大量にいるわけで、手放しで長寿を喜べない高齢者と家族が増え続けている。おかしなことに、文明化し、豊かになればなるほど病気は増えるというパラドックスが現代日本の矛盾として厳とあり、何がおかしいのか、何が狂っているのか、いい加減気がつくべきである。それは、現代人の「食習慣」と「栄養学」と「食生活」に何か間違いがあるのではないかと、感じている。
人は口に入れるものと、量により病気になる
哺乳類の生命活動とは、空気を吸い酸素を体内に取り込み、食事をして、排泄をすることだ。よって汚染された空気を吸い続けたら確実に病気になるし、身体によくない食生活をしたり、食べ過ぎたり、飢餓状態が続けば病気になる。また、排泄が思うように出来ず便秘をしたら、毒素が血管に入り病気を引き起こすことになる。
江戸時代の儒者に貝原益軒という人物がいる。養生訓という書物を表していて、中でも有名な教えは「腹八分目」だ。健康の秘訣は腹八分目であり食べ過ぎたら病気になると警告している。しかして、現代人はその教訓を意に止めず腹いっぱい食べて病気になっている。貝原益軒の教えからしても、明らかに現代人は食べ過ぎている。病気や不調になる原因の大半は、日々の食事にあると考える。何をどれだけの量を食べるかによって、健康体でいられるかどうかがかかっているということである。
江戸時代中期までは、一日二食で朝食を摂る習慣はなかった。三食摂るようになったのは江戸時代後期からであり、その習慣が日本人に根付いてまだ300年しかたっていない。それまではずっと昼と夜の二食というのが日本人の食事回数であった。三食摂るようになったといっても、江戸末期から明治、大正、昭和の初めまでは、往々にして貧しかったので実際は庶民は粗末な食事をしていた。三食摂ってもカロリー計算すると今の二食分以下にしか過ぎない。
一方、眼を現代に転ずると、病院の給食も、学校の給食も、社員食堂も、昭和40年頃に考えられた栄養学に基づいた理論でメニューを作られている。成人男性の摂取カロリーは2700キロカロリー、一日30 品目を目安に摂りなさい、と、提唱しているが、この指針をまじめに遵守していると健康を害してしまうほどである。
それは、この栄養学の指針通りの食事をしたら明らかに食べ過ぎてしまうからである。一日二食を提唱している鶴見隆司医師は「健康のために腹八分を心がけている人もいますが、それでもまだ食べすぎなのです」と警告を発しているほどである。続けて「30~40代なら腹七分、50~60代なら腹六分、70代以上は腹五分、これがずっと健康でいるための正しい食べ方です。」と述べている。
食べ過ぎるとどうなるかというと、身体は消化不良を起こし、消化されなかったタンパク質のカスなどが腸内にとどまって悪玉菌を増やすことになる。すると、腸が汚れ、免疫力は低下する。その状態が続くと、全身にバイ菌がばらまかれ、不調が起ったりひいては病気になってしまうことになる。免疫力の7割を占める腸の不健康は、そのまま不健康な体につながってしまう。だからこそ、食べ過ぎの害を熟知していた貝原益軒は「腹八分」を提唱したのではないか。
中医学では血液や血管に問題があり、血液の流れが悪くなる状態を「瘀血(おけつ)」という。瘀血は婦人科疾患、不妊症、生活習慣病、神経痛、肝臓病、心臓病、腎臓病、自律神経失調症などあらゆるトラブルに深く関与しているため、〝万病の 元〞と言われているゆえんである。
例えて言うならば、車でいうガソリンが人間の血液である。ガソリンに不純物が含まれていると車が壊れる。体も同様で、血液に老廃物がたくさん含まれていると各臓器や器官は調子が悪くなってしまう。この老廃物の一因が食べすぎによる、老廃物である。実際に、食べすぎに気を付けることは、流行りのダイエットはもちろんのこと、きわめて頭脳が冴えわたる感覚がある。
この食べすぎを抑えるには秘訣がいくつかあるのだが、次回に続ける事とする。
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