嫉妬心で苦しんでいる人へ

嫉妬心

え?「嫉妬している対象」は自分の理想像?

今の世の中、SNSが流行り、インスタやフェイスブックで他人のキラキラワールドに嫉妬して、苦しみを作ってしまうという人は沢山いる。勿論、苦しむくらいなら最初から、見なければいいじゃないかという正論はある。しかし、今回はこの嫉妬心を少し掘り下げて考えてみたい。きっと、思わぬ発見があると思う。

第一に、他人の成功に嫉妬している人は、幸福であるはずがない。それは誰でも、想像がつくはずである。それでは、なぜ他人の成功に嫉妬するのか。それを、いま一度、自分の胸に手を当てて掘り下げてみたい。

ここで一つ、質問をする。「あなたが嫉妬心を感じるときは、いったい、どのようなときであったか?」それをじっくりと考えてみていただきたい。

ここで、一つ、推論を述べる。それは「自分が興味や関心を持っていない領域について、嫉妬心を抱くことはあまりない」ということである。

例えば、あなたが一流会社の営業マンで、「営業の実績をどう伸ばすか」ということだけが毎日の悩みであるならば、自分と同じ営業マンで、どんどん実績を伸ばしている人に嫉妬心を感じるのではないだろうか。自動車のセールスで、あなたは月に二台の契約を取るのがやっとなのに、自分と同じ年代で、月に十五台もの契約を取る人がいれば、あなたは十中八九、その人を羨ましく思うはずである。なぜなら、あなたが関心を持っている領域のなかに、彼が踏み込んできたからである。

しかし、プロ野球の大谷選手が一ヵ月に十本のホームランを打ったとしても、自動車会社の営業マンであるあなたは、それを妬ましいとは思わないであろう。「一ヵ月に十本もホームランを打つなんて許せない」などと言うのは、よほどの人である。特定の球団をひいきにしているならば、そうしたこともあるかもしれないが、その場合でも、その選手の成功に嫉妬するとまでは思わないはずである。自分のひいきの球団が勝てなくなるので、おもしろくないとは思うかもしれませんが、その選手がホームランを打つのを見て、うらやましい、妬ましいとは思わないだろう。なぜなら、自分にはプロ野球選手になれる可能性がないからである。

しかし、同じくプロ野球選手としてホームランバッターを目指している人であれば、その人を妬ましいと思うことはありうる。

こうしてみると、見えてくるものがある。あなたが他人に嫉妬心を抱く場合、実は、その対象はあなたの関心領域にあるものであり、その人はあなたの理想像でもあるということである。妬ましいと思う気持ちは、ほんとうは、あなた自身がその人に成り代わりたかったということに他ならない。

たとえば、すてきな女性を連れて歩いている人を見て妬ましいと思うのは、本心では「自分もあのような女性を連れて歩きたい」と思っているからである。普通の人を連れて歩いている人を、妬ましいとは思わないであろう。ところが、ミスユニバースのような女性を連れて歩いている人を見たならば、嫉妬心が生まれることもあるということである。

結局、他人に嫉妬しているということは、次の二つのことを示している。
第一に、「あなたが嫉妬心を抱くものは、あなたにとって関心の強い領域がいったい何であるかを教えている」ということである。
第二に、「あなたが嫉妬する相手は、あなたの敵ではなく、実はあなたの理想像であり、あなた自身がその人のようになりたいと思っているのだ」ということである。

自分の可能性を見極めること

したがって、嫉妬心で苦しんでいる場合の解決方法は以下の通りとなる。
まずは第一段階として、自分自身を客観的に見て、自分の才能をよく知るとともに、自分に対する他人の真実の評価をよく考え、はたして自分はその嫉妬する相手と同じ成功を手に入れる可能性があるか否かを考えることが必要である。

次に、それがまったく可能性のない世界のことであり、宝くじを当てるようなものであるならば、潔くあきらめることである。
たとえば、特別な才能もなく、容姿端麗でもなく、家柄も特によいわけではないのに、名家の伴侶に選ばれることはまずないであろう。映画やドラマの中で、そうしたころもあるが、だから、映画やドラマになるということである。実際には、名家の伴侶候補になる人には、何かそれだけの条件が備わっているものである。
自分自身を客観的に見れば、可能性があるかどうかは分かるはずである。
そして、自分にはその可能性がゼロであるならば、そうした相手に嫉妬心を抱いても仕方ないということをうけいれることである。

したがって、自分にまったく可能性のない領域については、あきらめて、切りて捨てることである。妬ましいとは思わないことである。そのことについてはあまり考えずに、さらさらと流していくのが最もよいということである。

その場合、次なる問題として、「単にあきらめればすむのか」という問題が出てくる。そのときには方向転換が必要である。つまり、「あくまでも自分に可能性のある領域で自己実現を果たす」ということが大事である。

妬ましく思う相手の成功が、自分にも可能な領域であり、「頑張れば、もしかしたら」と思える場合と、可能性がまったくない場合の二つがある。後者の場合、すなわち、可能性がまったくない場合については「あきらめなさい」というのが結論である。その際には、もっと違う方向で自己実現をしていくべきであり、自分が目標にできる領域を考えてみるべきである。

理想の人を研究する

それでは、第二の場合、つまり、ある程度の可能性がある場合には、どうすればよいだろうか。
たとえば、現在、バッターとして五番を打っている人が、「自分はそのうちに三番を打てるようになりたい。そして、やがては四番を打てるようになりたい」と思うことは、可能性のある願いである。この場合には、やはり、努力する以外にないということである。

単に相手を妬ましいと思うのではなく、相手が自分の理想像であるという現実を認めなければならない。相手の成功した姿を憎むのではなく、相手を自分の理想像として見ることが大事である。

理想像としての相手のなかには、自分が持っていないものが必ずあるはずである。それを見つけ、努力して一つ一つ、身につけていくことである。そうした創意工夫が大事である。
最初に述べた、自分は月に二台しか自動車の注文が取れなくて、十五台も注文が取れる人をうらやましがって妬んでいる営業マンの場合も、同じ領域のことなので、追いつくのは不可能ではないかもしれない。そこで、「なぜ彼は月に十五台もの注文を取ることができるのか」ということを研究してみる必要がある。

それだけの実績をあげるには、やはり、それだけの根拠があるはずなので、その辺をよく分析してみることが大事である。その人をよく観察すると、いくつかの優れた点が必ずあるはずである。

例えば、人脈が非常に広いということがあるかもしれない。また、契約の取り方に何かテクニックがあるかもしれない。服装に何か違いがあったり、話の切り出し方がうまかったり、訪問の仕方がじょうずだったりと、いくつかのポイントがあるはずである。

そして、いきなり十五台は無理だとしても、二台を三台に、三台を六台にと、少しずつ近づけていくことは可能であると考えることが大事である。そして、あなたが月に十五台の車を売れるようになったとき、初めて被とのライバル関係が成り立つことになるのである。

そうした努力をしていく際に注意すべき点は、月に十五台の車を売る人のことを、「あれはインチキをしているのだ」「あれはまぐれだ」などと決して言わないことである。そうではなく、「彼は自分の理想像である」と認め、「彼のなかに、よいもの、学べるものがあれば、それを学んでいこう」という考え方を持つことだ。そうした姿勢が非常に大切になってくる。

まとめると、「他人に嫉妬心を感じるのは、自分が興味や関心を持っている領域においてであり、ほんとうは、その成功した人に自分が成り代わりたいのであって、その人は自分の理想像でもある」ということである。
そうした事実を認めたうえで、自分にその可能性があるかどうかを判定し、万に一つも可能性がない場合には、潔くあきらめ、自分に合った他の領域で全力を尽くし、それなりの成功を収めていくことを心がけることである。

一方、可能性がある場合には、相手を無視したり、ひがんだりするのではなく、努力して相手のなかから最良のものを学び、その理想像に近づいていくことである。嫉妬心を、もっと生産性のある感情、より高度な、高貴な感情にしていくことが大事なのであるなお、嫉妬心は潜在意識による成功にも非常に重要なことであるので、今であれば潜在意識と成功の無料動画を用意しているので、公式LINEから見ていただけたら、幸いである。

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